仙台地方裁判所 昭和39年(わ)400号 判決 1966年3月31日
本籍 埼玉県春日部市大字粕壁四、四七七番地
住居 大阪府南河内郡美陵町藤井寺二六〇番地 幸来園内
飛行機操縦士(教官) 後藤豊次
昭和二年三月一八日生
右の者に対する業務上過失致傷被告事件につき、当裁判所は検察官中村弘、弁護人八島喜久夫、同寺島芳一郎、同石原秀男、特別弁護人石田功各出席のうえ審理して次のとおり判決する。
主文
被告人は無罪
理由
第一本件公訴事実
変更後の訴因は、つぎのとおりである。
「被告人は、昭和三四年二月一日東京都港区芝田村町一丁目三番地で定期航空運送事業を営んでいる全日本空輸株式会社に入社し、同三七年一一年一三日定期運送用操縦士の技能証明をえて、同年一二月一七日定期旅客飛行機の機長となり操縦業務に従事しているものであるところ、昭和三八年五月一〇日午後二時一〇分千歳空港発三沢、仙台各空港経由東京空港行同会社定期便八〇二便飛行機ダグラスDC―3型JA五〇四〇に機長として乗り組み、同機を操縦して就航中、同日午後四時五三分ころ、他の搭乗員二名、乗客二二名を搭載したうえ、宮城県名取郡岩沼町下野郷字北沼四番地仙台空港に着陸しようとして、同空港滑走路(長さ一、二〇〇メートル)の西北端から東南に向け約三〇〇メートル先地点に同機の前車輪を接地させ、同滑走路を西北から東南に向け約五〇〇メートル滑走したのであるが、このように飛行機を着陸滑走させる場合、飛行機操縦者は飛行機を蛇行させ滑走路外に逸脱し、衝突転覆等の危険を生ぜしめないよう、滑走路の状態、風向、風速さらには当該飛行機の特性をも考慮し、慎重確実な操縦をして飛行機を安全に滑走路内に停止させるよう操作すべきは勿論、もし誤って飛行機を大きく蛇行させるなどして、その慎重確実な操作に欠くる事態に当面するに立ち至ったときは、乗客の安全をはかるため、直ちに飛行機を停止する措置を講じ、またそのときの状況判断によって仮りに復行(再上昇)の措置に出ずるとしても、この場合は特に的確慎重な配意をめぐらし、進路上にいささかの障害物もあり得ない方向を選んで進行し、もって危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにかかわらず、これを怠り、漫然操縦にあたったため、前記のとおり前車輪接地後滑走路を約五〇〇メートル滑走する間に、操縦を誤って飛行機を大きく蛇行させ、しかもこのとき停止措置をとることなく、あえて復行を企図して急激に増速し、これにより機首が左側約四五度方向の滑走路外に向いてしまったのに、そのまま離陸滑走を続けた過失により、間もなく同機をして滑走路東方外側芝生地帯に逸脱滑走させて吹流し取付用柱に右側主翼を激突させ、機体を同柱東側付近地面に墜落大破させ、よって乗客の青柳篤四郎に対し全治約二か月間を要する第六頸椎不完全脱臼、氏家桃雄に対し全治約二か月間を要する左第三、第四、第五肋骨骨折、左肘部打撲傷、和田しげ子に対し全治約三週間を要する腰部挫傷、和田真治に対し全治約二週間を要する左顔面打撲傷、副操縦士渡辺重美に対し全治約三か月間を要する第十二胸椎、第一腰椎圧迫骨折等、スチュワーデス今泉喜美子に対し全治約一か月間を要する左肩、左膝各挫傷等の各傷害を負わせたものである。」
第二事実の概要
本件事実関係につき、
≪証拠省略≫
を総合すると、つぎの(一)ないし(三)の事実が認められる。
(一) 被告人の飛行経歴、資格
被告人は、熊谷陸軍飛行学校を卒業、一年間従軍したのち、マライで終戦を迎え、昭和三一年になって事業用操縦士の資格を得、同三四年二月一日付で全日本空輸株式会社(全日空と略称)に入社、同年七月二〇日付で定期副操縦士の発令をうけ、同三七年一一月一三日付で定期運送用操縦士の資格を得、同年一二月一七日付で定期機長の発令をうけ、東京―大阪、東京―札幌各路線の飛行認可を得て、ダグラスDC―3型機の機長として、同三八年一月から本件事故発生当時まで仙台空港で数十回の離着陸の経験をもっていた(当時の飛行時間は約三、六〇〇時間、そのうちDC―3型の飛行時間は約二、三〇〇時間)。なお本件後は、全日空八尾訓練所の教官として飛行機操縦士の養成訓練にあたっている。
(二) 本件事故発生の概況
被告人は、昭和三八年五月一〇日、全日空定期航空路線の機長として、東京―札幌路線上り八〇二便ダグラスDC―3型JA5040機を操縦して、同日一五時四五分、三沢飛行場を離陸、仙台空港経由東京空港に向かい、予定の一六時四七分よりも早く仙台空港上空に飛来し、低視界進入方式で着陸することとしてその旨仙台空港管制官の許可を得た。
同空港は、宮城県名取郡岩沼町に位置し、滑走路は、コンクリート基礎にアスファルト舗装で仕上げられ、西北(12と滑走路標識が施してある。)から東南(同じく30と標識が施してある。)に伸び、全長一、二〇〇メートル、幅員四五メートル、なお12、30の両端に各長さ一〇〇メートルのオーバーラン(過走帯)が設けられている。滑走路標識灯(以下Rの記号で示す。)の設置状況、その他の概要は別紙図面のとおりである。
被告人は、滑走路の12から30に向け進入し、12端から約二七〇メートル先地点(R10、R11の中間ややR10寄り)に時速約八五マイルでまず、右主輪、やや遅れて左主輪の順にセンターラインをまたいで接地(従ってやや右傾斜の姿勢で接地)、着陸滑走に入った。
接地後間もなく機体はやや右へかたより、しかしセンターラインをなお両主輪間にまたいだままで進行したのち、接地点から約一六〇メートルあたり(R13付近)で左に向きを変え始め、R14を過ぎて右主輪はセンターラインを左へ越え、R15とR16のほぼ中間で右主輪がセンターラインから約四・三メートル左へ寄るまで偏行し(以下第一偏行という。)、ついで右へ方向を転じ、R16付近での右主輪の位置はセンターラインの左ほぼ四メートルとなり、さらにR17、付近では左主輪がセンターラインを右へ越え(以下第二偏行という。)、R17、R18のほぼ中間(接地点から約四〇〇メートル、残余滑走路約五〇〇メートル程度)の地点では、機体の位置はまったくセンターライン右側に移りながらも、機体はセンターラインとほぼ平行する直進状態になった。この付近で、被告人は着陸のやり直しをやるため離陸を決意(いわゆる復行決意)し、エンジンを全開にしたのであるが、その直後に大きく機首が左にそれ、R19の約一〇メートル手前で滑走路から逸脱(以下最終偏行という。)してしまった。
滑走路を逸脱した機体は、空港の草原をほぼ北東へ直進し、逸脱地点から約一五〇メートルの間は、両主輪、尾輪を接地した三点姿勢で、それから更に約四五メートルの間は、両主輪が浮上し尾輪のみを接地する姿勢で地上滑走をしたのち、浮揚して約七〇メートル進行したのであるが、同日一六時五五分頃、結局前記のようにR19付近で滑走路を逸脱してから約二六五メートル直進した地点で、吹流し取付用ポール(直径約一五センチメートル、高さ約八メートルの木製)の地上約四・七メートルの高さに右主翼端(右エンジン中心部から翼端へ約七・八メートルの部分)が激突した。この事態にいたり、被告人は、直にエンジンスイッチを切ったが、機体は右へ傾き右翼端を地上に接触させ、これを引きずる姿勢でなお右前方へ約八〇メートル進み、そこで直径約二・二メートル、深さ約一・一メートルの降水量測定用のすりばち状穴(その中央に高さ約一・四メートルの木杭が立てられている)に右翼端をひっかけ、そのためほぼ一八〇度右回転をして地面に激突して大破した。
この事故によって同機の搭乗員と乗客合わせて六名が公訴事実記載のような各傷害を受けたほか、被告人自身も全治一か月を要する頭部、顔面裂傷を負った。
(三) 本件事故機の整備状況、事故時の気象状態
本件事故機が三流飛行場を出発する際の点検では、機体等になんら異常な点は認められず、また仙台空港へ向う飛行中もエンジン、その他の機能は正常に作動していたのであって、事故発生後の運輸省航空局係官の調査からも、本件事故が機体、発動機、プロベラ、操縦系統、ブレーキ等飛行機自体の構造、機能上の異常に起因して発生したと認められるふしはなかった。
なお、仙台空港の本件事故発生前後における気象状況は、南々東およそ一三ノットの風、視程およそ二五マイルで、飛行条件としては恵まれたほうであって、これまた独立して本件事故発生の原因をなすものではなかったと一応認められる。
第三検察官が、被告人の過失として主張する各事実とそれに対する弁護人の反対主張
第二の(二)に認定した傷害事故の発生につき、検察官が被告人の業務上の過失として主張する趣旨を、公訴事実の記載と釈明の結果に基づき、事故発生に最も接着した時点から順次時間的にさかのぼって整理すれば、次のようになる。その各々に対する弁護人の反対主張の要旨をも附記する。
(一) 草原進行に関する過失
1、検察官の主張
飛行機が滑走路上を滑走中、進行方向に偏行をきたし、機体が滑走路外にとびだして草原を進行(滑走)すべき態勢になった場合には、機長としては何をおいても機体を停止させる措置を講ずべき業務上の注意義務がある。なぜなら、滑走路外側の草原は、通常離着陸滑走を目的として用意されたものではなく、そのためにことさら整備されているものでもないから、このような草原における離陸滑走(復行の開始または継続)には、重大な危険を伴うおそれがあるからである。
それなのに被告人は、R17、R18の中間付近で左側に機首が向き、そのまま進行すれば確実に滑走路外に逸脱して草原を進行することを明らかに知りながら、進路上に障害物がないものと軽信し、あえて停止の措置をとらず、復行措置を継続して草原を滑走した過失がある。
(以下これを草原進行に関する過失という。)
2、弁護人の反対主張
たしかに滑走路外の草原地帯にはどのような障害があるかも測り知れないので、草原滑走に伴う一般的な危険は飛行機操縦者としては当然予測すべきではある。しかし本件において、機首が滑走路左側の草原を向き滑走路を逸脱しようとした時点は、被告人が既に復行を決意してエンジンを全開にしてしまった後のことであり、その結果、増速が加わって機の速度は浮揚速度寸前に達し、また舵の効きもよくなっていて、そのまま復行措置を継続する限り草原を直進し離陸し得る状態であったばかりか、被告人は、機首が飛行場内の最も奥行の深い方向に向かい、かつその時点で被告人の認識しえた範囲では進路前方に障害物のないことを確認したうえ、さらにまたできるだけ早く機を浮揚させて草原滑走を短かくしようとしたのであって、本件の具体的状況下では一刻も早く浮上するよう復行を続けた被告人の措置はむしろ適切であった。検察官主張のように復行措置を停止措置に変更することは、心理的に不可能であるばかりか、その結果かえって草原滑走距離を長くし、したがって、それに伴う危険はより高くなり、また当時の高速時において、もしも急激な停止措置を講ずるなら、機体がグラウンドループ(地上急旋回)におちいって一そう重大な結果の発生する危険も高かった。
(二) 復行時の操作に関する過失
1、検察官の主張
既に滑走路の中間付近まで着陸滑走を続けてきたうえで、復行(離陸)の措置にでて急激な増速をすれば、それまで蛇行していた機体に不安定な力が残っていることやDC―3型機の特性等から考え、機体の進行に左偏行をきたすことが予測される。その結果危険な草原滑走をせざるをえないようになることは明らかである。したがって、操縦者としては、かような条件下で復行措置をとる際には、急激な増速を避けて偏行を防ぎ、進路上にいささかの障害物もない方向(つまりは滑走路上)で復行(離陸滑走)すべきであるのに、被告人は、漫然と急激な増速を行った過失により本件の最終偏行を招き、その結果、草原滑走とそれに引き続く本件事故発生のやむなきにいたらしめたものである。
(以下これを復行時の操作に関する過失という。)
2、弁護人の反対主張
DC―3型機の特性としてエンジン増速(と機首おさえ)に伴って左偏行をきたしやすい点は、機長として当然知悉していることであるが、本件最終偏行の生じた原因は単に右特性だけにあるものではない。被告人の増速操作は決して急激なものではなく、通常行われている離陸操作に従ったもので、この通常の操作をとること以外に偏行を予防するための措置というものはあり得ず、本件の最終偏行は結局これを予見し回避することのできない不可抗力によるものである。機長として訓練されその資格を持ちまた乗客の安全保持という責任を負っている被告人が、検察官主張のように「漫然」と増速操作をする、というようなことはそもそもあり得ないことである。
(三) 復行そのものに関する過失
1、検察官の主張
本件では、着陸滑走中に幾度か蛇行をくり返えし、既に機体が滑走路中間付近まで進行し当然速度も落ちていた。このようなばあいには、たとえ瞬間的に機首が直進(滑走路センターラインに平行)の状態になったとしても、そもそも復行措置にでるべきではない。なぜなら、それまでの蛇行の影響で機体に不安定な力がなお働らいていることから、そのような時点で復行措置にでれば、機体が滑走路外に飛び出すおそれが強く、そのため危険な結果の発生が予測されるからである。このような場合、操縦者としては、直ちにエンジンを止め、できれば機体の偏行を修正しながらブレーキを使って速やかに停止措置をとるべき義務があり、かかる措置にでていれば、たとえ機体が滑走路外に逸脱することがあっても、草原での車輪の摩擦が大であることを考えると、長い草原滑走を要せずに、自然に安全な停止が可能であった。それなのに、あえて復行措置をとったというそのこと自体が被告人の過失である。
(以下これを復行そのものに関する過失という。)
2、弁護人の反対主張
滑走路中間付近でなお相当の速度を残していた本件では、十分離陸復行は可能であったし、機首不安定の状態は復行措置を可とする条件でこそあれ、これを否とする条件にはならない。
本件の具体的状況のもとで、エンジンを止めブレーキを使って速やかに停止させる措置をとったなら、重心位置の高いDC―3型機はグラウンドループを惹起して本件事故以上に大きな機体の破壊と乗客等の致傷の結果を招いていたとも考えられる。したがって、被告人が復行の措置をとったこと自体にはなんら過失はない。
(四) 蛇行修正に関する過失
1、検察官の主張
着陸滑走中、機体を全く偏行させないことは不可能であるとしても、一般には、これを初期に修正し最少限度に止め得るものであるところ、本件第一、第二の各偏行(蛇行)は、いずれも被告人の偏行修正の際の舵の使い過ぎ、使い遅れという操縦操作の誤りに基づくものであり、その結果最終偏行とそれに続く草原滑走をやむなくさせたものである。被告人には蛇行の修正についての慎重確実な操縦をなさなかった過失がある。
(以下これを蛇行修正に関する過失という。)
2、弁護人の反対主張
本件の第一、第二偏行はいずれも蛇行を修正する過程で生じたものであるから、この結果につき被告人の操縦技術が未熟であるという評価は可能であるにしても、およそ着陸滑走中には多少の蛇行が発生することは避けられないものであるところ、本件第一、第二の各偏行はいずれも飛行機の操縦に際し、通常許容される範囲内のものであって、被告人の蛇行修正の操作に刑法上の過失責任を問うことはできない。
第四業務上過失の有無の判断
第三において摘出した検察官の主張に対し、順次検討を加えることになるが、以下の認定に用いる証拠は、第二の認定の際に示したもののほかは、つぎのとおりである。≪証拠略、なお文中かっこ内の証拠も省略≫
(一) 既に第二において明らかにしたとおり、本件事故発生の直接の原因は、機の右主翼端が吹流し取付け用ポールに衝突し、ついでその翼端を降水量測定用に掘られた穴に引っかけたことにある。そこで、検察官の主張に対し判断する前に、この点に関し被告人に過失がなかったかを一応検討しておく。
1、本件ポールと穴の設けられた位置は、別紙図面に示すとおりでポールはR22側方約二〇五メートルの地点にある。ポールは、本件事故の約一年前航空自衛隊が操縦訓練用として設置したもので、事故当時にはまったく使用されておらず、もともと彩色もほどこされていなかったところへ木肌の色もあせ、かつ周囲の草原の色に紛れて遠方からは識別しにくく、仙台空港関係者の間でも一般にはその存在が必ずしも知られていなかったものである。本件穴の存在にいたっては、その位置を事前に知っていない限り、これを草原中に探しあてることすらとうていできないことが当裁判所の検証の結果から明らかである。そして、本件ポール、穴ともに、運輸省航空局作成のいわゆるA・I・P(飛行場における障害物を記載して公示する航空情報の一部)には記入されていない。
2、被告人は、右主翼端が衝突する寸前に初めて本件ポールの存在に気付いたが、この点は被告人と並んで操縦席についていた渡辺重美副操縦士の場合もほぼ同様である。被告人がポールの存在を認識した時点では、機は既に浮揚しかけていたと認められ、したがって、その時にはもはや、これとの衝突を回避することができない状態であったことは明らかであるし、右1の認定事実に、離陸滑走時における操縦士の諸計器点検とこれに即応するエンジン調整操作等の緊迫度および同滑走中の操縦士の視認範囲の制約等を合わせ考えると、被告人がより早い時点で、これとの衝突を回避するに十分な時間的、距離的余裕を残しているうちに、本件ポールと穴を予見すべきであったとまでは認めがたいのであって、それなら、この点に被告人の過失ありとは言えないことになる。
(二) 「草原進行に関する過失」の有無
1、一般に飛行機が地上滑走する場合には、その構造上当然に地表物による物理的な影響を受け、動きは複雑となりまた変化もしやすくなる一方、これに対処すべき飛行機の制御性能は、これも構造上当然に、機が空中にある場合に比して格段に低下することを免れない。この点は、本件の場合についても当然あてはまる。法規によって滑走路の構築基準、保安基準が厳格に規制され、その安全維持に細心の留意が配られているのは、ひとつにはこのためであると考えられる。
本件の仙台空港は、そもそも昭和一五年頃陸軍飛行学校の操縦訓練用として作られ、その当時は特に舗装された滑走路の設備がなく、単に地表面を平坦に転圧して離着陸の用に供していたものである。したがって、現在もその草原部分を使って離陸することが不可能とは言えないのは当然であろう。しかし、右草原部分は、本件事故当時、特に離着陸を目的として整備されてはいなかったのであるから、おのずと地表面に凹凸のあることは免れず、その他草の中に意外な障害物が隠されていてもこれを広大な草原の中に発見し、取り除くことは容易でなく、またこの部分を滑走する場合の距離測定も難かしいなど、これをよく舗装整備された仙台空港滑走路と比較するなら、DC―3型のような大型機の滑走に伴う危険な結果(地表面の障害物との衝突とそれに基づく乗員、乗客の生命身体に対する事故)発生のおそれは、はるかに高いことが明らかである。
それなら、すくなくとも、本件滑走路と草原部分のいずれかを任意に選択しうる状況のもとで、旅客機操縦者があえて草原での滑走を行ない、その結果傷害の事故が発生したような場合には、それが操縦者に科せられた注意義務の懈怠に基づくものと評価されることはやむを得ないと言えよう。
2、そこですすんで、被告人の場合、本件草原滑走がどのような具体的状況のもとに行われたかを検討しなくてはならない。
まず、≪証拠省略≫を総合すれば、本件滑走路R17とR18の中間付近で、かつ事故機が滑走路上をほぼ直進する方向を向いていた時点において、被告人が復行のためエンジンを全開したことにより増速が始まったこと、したがってまた、本件最終偏行は右増速の開始された後に生じたことがうかがわれる。
さらに、パイロットレポートによれば、最終偏行による滑走路逸脱時の機の速度は毎時約九〇マイルであったというところ、DC―3型機の離陸安全速度が毎時九七マイルであること、なお木村鑑定書では本件事故機の離陸速度は毎時八六マイルであると算定していることならびに本件事故機が草原滑走約二〇〇メートルの後、ともかく浮揚態勢に達していたということから考えて、被告人の言うところは正しく、すなわち滑走路を逸脱する前後の事故機の速度はおよそ毎時八〇ないし九〇マイルに達していたと認めて差支えない。
3、右認定のように、復行のための増速が始まったほぼ直後に最終偏行が生じ、かつその頃約八〇ないし九〇マイルの時速がでていたことを前提に、
長野鑑定書は、被告人が、進路方向に明らかな障害物はないと判断したうえ、既に離陸速度に近い速度が出ていた以上、あえて復行操作を持続したのはやむを得なかったし、もしこのような状況のもとに機を停止する措置をとるなら、いきおい草原滑走の距離が長くなるのみか、急停止措置を講ずる場合においては機体の逆立ち、とんぼ返り等の危険もあるとし、
園山鑑定書は、このような場合に復行操作を維持すべきか否かは速度、機の姿勢と方向、風向、風速等を総合して判断しなければならないところ、本件における被告人の復行維持が必ずしも誤りとは断定しえないとし、
川田尋問調書もまた、速度が出ていて進路が平坦な場合には離陸を続けた方が安全であって、エンジンを全閉にしたり強いて方向を修正しようとするとかえって反対方向に偏行するなどの危険も考えられる旨指摘する。
渡辺副操縦士も、本件で復行を続けることに危険は感じなかった旨述べている。
4、言うまでもなく、被告人に対して、最終偏行後は機体停止の措置をとるべきであった、すくなくとも復行を継続することだけは避けるべきであったという義務を科するためには、その義務を履行することによって本件のような致傷の結果を回避しえた筈だということが認められなければならない。
しかし、この点に関する証拠を総合して検討した限りでは本件において最終偏行開始後もなお復行を続け草原を滑走すること自体が、これを放棄して停止措置をとることに比較してより危険である、あるいは被告人が機を停止させる措置を講じたならば草原滑走に伴う危険を回避し得て、本件のような致傷の結果は生じなかった筈であるとまでは認められないのである。
結局、本件において、最終偏行開始後もあえて復行を放棄せず草原を進行したというそのこと自体に被告人の過失ありとするには、なお証明が十分でないと言うほかはない。
(三) 「復行時の操作に関する過失」の有無
この点に関しては、復行のため増速したのち偏行をきたすことに伴い予測される危険性と、本件最終偏行の原因、操縦者としてこのような偏行を予測し防止修正する可能性の有無につき検討しなくてはならない。
1、もしも、エンジンを全開にしたのちに本件最終偏行と同規模の大偏行が生ずるならば、既に(一)において判断したような危険性を伴う草原滑走(それが離陸のためであれ停止のためであれ)の事態に立ちいたるべきことは操縦者として当然予測しなくてはならない。したがって、旅客機の操縦者としては、機体が滑走路から逸脱して草原滑走を招く結果となるような大偏行は、これを可能なかぎり予防し、あるいは修正しうるような操縦をすべき注意義務のあることは承認しなくてはならない。
2、まず、本件最終偏行の生じた原因を明らかにしなくてはならないが、それがとにかく機体の地上運動である以上、機体の構造、特性、速度、方向、増速の具体的な操作およびそれ以前の蛇行修正の影響の有無、風向、風速等の諸条件について検討されなければならない。
(1) 一般に、地上滑走中の機体に偏行を生じさせる要因としては、
風の強さと向きの変動、滑走路面の不斉による左右輪の抵抗の差、左右輪のブレーキの効きの不均斉、左右カウルフラップの開閉度不均斉による空気抵抗の不均斉、機の姿勢変化に伴う方向舵の効きの変化、速度変化による方向舵の効きの変化とプロペラトルクとの関連、機のピッチングに伴うジャイロモーメントの作用等
があげられ、さらに、DC―3型のような尾輪式飛行機の場合は一般に前輪式に比べて偏行性が強く、その理由としては、
尾輪式は重心位置が主翼後方にあるため、左右主輪に作用する横力は機の偏行をますます増大させる要素として働く。
尾輪式では三点姿勢と二点姿勢の転換につれて舵の効きが変化する。
という二点があげられる。
(2) そこで、具体的に本件最終偏行の原因についてみると、
園山鑑定書、同尋問調書によると、それはやや慎重さを欠いた急激な操作(具体的には発動機全開直後の急激な機首押さえ)の結果、ジャイロプレッションの軸に急速な変化が生じたためであり、操縦者としては、急激な増速操作を避けて、切めは静かに、そして加速的にレバーを入れるとともに、機首の方向変化に留意し、偏行が生じた場合はこれを速やかに発見して初動のうちに修正するようにすべきであるという。
長野鑑定書、同尋問調書によると、本件最終偏行は、第二偏行を左へ修正する過程で、機首を直進方向に立て直しながらエンジンを全開にし離陸態勢に移った時に引き続いて生じたもので、その原因としては、
発動機全開と同時に機体尾部の位置が高くなったため、ジャイロプレッションが作用して機首を左へ向けた。接地後速力の低下につれて当然操舵の量が多くなっていたところ、第二偏行を左に修正するため、かなり大きい左舵を使ったところへ、急激にプロペラ後流が変化して左舵が大きく効いた。発動機全開の操作をした際、瞬間的に左右の出力の不均斉が生じた。
等が考えられるものの、現在の資料からはそのどれが(あるいはどれどれの複合が)原因をなしているかは推定できないとし、なおジャイロプレッションの作用による左偏行の防止については、園山鑑定書、同尋問調書が挙げる方法とほぼ同じように、これを操縦技術によるべきことを明らかにしている。
木村鑑定書によると、本件最終偏行の原因は、単一とは認められず、着陸後の機の舵行は力学的には不安定振動であって、左右の偏行を交互にくり返しながら、次第に振幅(偏行度)を大きくして行くものであり、本件の場合もそうであったろう。また機は舵行に伴ってピッチングをおこすのが普通であり、ピッチングの過程で機首が下る時期とプロペラの全回転になる時期とが偶然一致すると、ジャイロモーメントが作用して機の左偏行をさらに助長することになる。
というような要素が原因と推定されるとし、さらに、不安定振動の場合には、右偏行のつぎに左偏行のくることは当然であるから、操縦者としてはそのことを予測しえた筈であるが、本件最終偏行は操縦者の予測したところよりも大きかったと考えられるとする。
以上の各証拠に、亀山証言、吉池証言および川田尋問調書を合わせて考慮すると、本件最終偏行の生じた原因としては、復行のためのエンジン全開に伴って生じたジャイロプレッションの影響と、機体の姿勢の変化によって舵の効き方が急激に変化したこととを一応考えなくてはならないが、その他にもこれと複合する原因がなかったとは言い切れず、かつそのいずれが決定的であったかも必ずしも明確にはならないのである。
3、このような事実関係にある場合、本件最終偏行は被告人の過失に基づくものと言えるか。
DC―3型機が尾輪式構造を有し、地上滑走時の安定性が必ずしも高くなく、なかんずく増速時においてジャイロプレッションの作用で機の左偏行をきたすおそれがあることは、既に検討した各証拠により明らかであり、右特性については被告人も一応承知していたところである。それなら、被告人は本件の場合にも右特性に十分留意して復行操作を行うべきものであった。これを言い代えれば、被告人は第一に、復行にあたっては急激な増速操作を避けるとともに、舵の効きの変化に配慮し、これに対応する適正な操舵を行うべきものであった。
この点につき被告人は、DC―3型機の離陸の場合、エンジンの初動から全開までおよそ六秒をあてて操作するのが一般的な方法であるところ、本件復行の場合にもこの一般的な増速方法にしたがったもので、ことさらに急激な増速操作を行なったものではない旨弁疎している。(もっとも(四)の1に後述するように復行操作を開始する時点では、なおかなりの速度が残っていたのであるから、本件の場合エンジン全開までに費した時間が六秒だというのでないのは勿論である。)
たしかに、機の滑走路外への逸脱をまねいた本件最終偏行はおよそ通常の事態でないのであり、その外見から、被告人の操縦に重大な誤りがあったのではないかと疑われるのは当然であろう。しかし、既に検討したように本件最終偏行の決定的な原因がなにか、またそれが単一なのか複合しているのかも不明確と言うしかない場合において、偏行発生という結果から、それゆえに被告人に操縦上の誤りがあった筈だとまで推論することはもとより危険であるばかりか、被告人は、DC―3型機の機長として昭和三八年一月頃から本件事故発生時までに、東京―札幌路線に数十回就航しており、前示のようにDC―3型機による飛行時間は約二、三〇〇時間に及ぶもので、同型機の操縦技術がすくなくとも一般的水準以下にあったとは認められない事情にある。
それなら、被告人の右弁疎をくつがえし、本件復行にあたって被告人が操縦上の誤りをおかしたとまで認定するわけにはいかないのである。
およそDC―3型機の離陸操作につき一般的に定められている増速方法であるからには、同型機の右特性を考慮し一応はこれに対処する意味も含めて定められている筈のものである。被告人がことさらにこの方法にそむき、たとえば急激な増速操作をとるとか、あるいは舵の効きの変化に対する配慮と対処を怠るとかの誤りをおかしたことが明らかでない限り、本件最終偏行を生じたことに被告人の過失があるということはできない。
なお、いったん本件最終偏行が発生したのちでも、機体が滑走路を逸脱する以前にこれを修正し得たとするなら、本件の草原進行の事態にはいたらなかった筈ではある。
しかし、既に認定したとおり、本件最終偏行が発生した頃の機の速度はおよそ八〇ないし九〇マイル毎時であり、かつその偏行度は、これを航空局見取図に基づいて算出すればおよそ三八度という大きなものである。この偏行が発生してから機体が滑走路外へとび出すまでの時間が極めてわずかなものだったことは明らかである。川田尋問調書は、およそ復行を決意するほどの速度が出ていてかつ四五度もの偏行が生じた場合には、これを滑走路上で修正することは困難である旨述べており、園山尋問調書も、離陸操作中に四五度もの偏行が生じた場合に機を元へ戻すのは困難だとし、また本件最終偏行後も離陸操作をとりつづけたことを誤りとは言い難いとする前掲各証拠((二)の3)は、本件最終偏行を修正することが困難であるとの趣旨を含むものであろう。
つまり、本件最終偏行はこれを修正することが可能であってしかも被告人はこれを修正し得なかったとする証拠もないのである。
(四) 「復行そのものに関する過失」の有無
検察官は、本件の具体的状況下ではそもそも復行の措置にでたこと自体が被告人の過失であると主張する。
1、本件において復行のための増速が始まったのは、ほぼR17とR18の中間付近で、かつ機が滑走路を直進する方向を向いていた時点であり、機が草原に逸脱する前後の速度は毎時約八〇ないし九〇マイルであったことは既に認定したとおりである。それなら、被告人が復行を決意し増速を開始した時の速度が毎時六〇ないし七〇マイルくらいであったという弁解は、これを措信してよい。また増速が始まった地点では、滑走路はなお五〇〇メートル以上の余裕を残していたことが航空局見取図から明らかである。
2、このような具体的条件のもとで、被告人のとった復行措置により離陸することは可能であったか、またこの場合停止措置にでることは可能であったか、さらに両者いずれの措置にでるのが相当であったか。
園山鑑定書は、安全離陸速度および滑走距離から考えて、本件の場合物理的には離陸、停止いずれの措置を講ずることも可能であって、本件接地後の蛇行(第一、第二偏行)と増速に伴うかも知れない偏行のおそれを考慮してもなお、離陸と停止のいずれかが相当でいずれかが誤りだとは断じ得ないとし、
長野鑑定書は、離陸は可能であった、復行と停止いずれの措置が相当であったかは判定困難であるといい、
楢林鑑定書は、離陸、停止いずれも可能で、機長の判断によりいずれの措置にでるのも差し支えなかったと推定し、
木村鑑定書は、離陸は可能だが、滑走路上で停止することは不可能と考えられるとし、
川田尋問調書は、離陸も停止もいずれも可能と考えられるとする。
そして被告人供述および渡辺尋問調書によると、被告人は機長として復行は可能であると状況を判断し、エンジンを全開にしたものであり、同乗していた渡辺副操縦士も機長の右操作を奇異とは考えなかったというのである。
3、もしも本件において、復行のためエンジン全開等の操作を行なうことにより、その操作自体にはなんら誤りがなくても、被告人の操縦技倆をもってしては修正困難なほどの偏行を生ずるおそれがあると予測し得たものであれば、機を停止させることも不可能ではなかったのにあえてその措置をとらず、復行にでたというそのこと自体、それは被告人の過失であると評価することもできよう。
しかし、2において検討した各証拠を総合すれば、本件において被告人のとった復行操作により機が離陸することは可能だった筈であり、また停止措置にでずあえて復行措置にでたこと自体が不相当で誤りであったとまでは認めがたいということである。
その他の証拠によっても、右の意味における予測が可能であったとの証明はついにない。被告人が本件復行にでたこと自体を過失であるとは認められないのである。
(五) 「蛇行修正に関する過失」の有無
1、本件における被告人の接地方法に誤りがあったとする証拠はなく、かえって園山鑑定書、楢林鑑定書によるとそれは正常だというのであるから、まず、被告人の接地操作の誤りが以後の蛇行を誘ったとは認められない。
2、地上滑走中の飛行機に蛇行を生じさせるべき一般的要因は、第四の(三)の項において木村鑑定書により認定したところである。≪証拠省略≫によれば、本件第一第二の各偏行つまり蛇行には、右諸要因中のいくつかが複合的に作用しており、一応は修正のための舵の使い過ぎと使い遅れによるものと推定されるが、その正確な原因確定は困難であるとする。そして、DC―3型機がことに機首安定性の低い点を一致して指摘し、かつ着陸滑走中に多少の蛇行の生ずることは、DC―3型機の場合に限らず、通常生ずる事態であって、一般には、これを初動の段階で操縦技術により修正し、滑走路逸脱等の事態を避け得るが、それも程度によっては常に修正可能であるとも言えないという。
本件復行開始以前の蛇行(第一、第二偏行をいう。)が、被告人による修正操作の過程に現われたものであることは前掲各証拠から明らかで、被告人自身、昭和三九年一〇月二二日付検察官に対する供述調書中で「機首が左に向いたり右に向いたり、このようなことは、私の操縦のまずさというか正確になさなかった誤りによるものである」と述べてこれを認めるが、同時に被告人としては蛇行修正の措置をとにかくも講じたものであるとしている。
既に認定したように(第四の(四)の2)、本件蛇行の規模は、これを修正して停止もしくは離陸の措置をとり得る余地を残す程度のものであったし、旅客機操縦者に対し一般的に要求される程度の技倆―この場合は機の偏行に対処し修正する技術を有していた被告人が本件蛇行の処理にあたって通常許されない操縦の誤りを犯したと認めるべき証拠は十分でない。本件蛇行を生じたことに被告人の過失を問うことはできない。
第五結び
以上検討した結果は、本件事故機の接地から事故発生までの間に、検察官主張のような被告人の過失があったと認めるに足る証拠は十分でないというにつきる。
公訴事実を同一にする範囲でさらに調査してみても、既に検討した点以外に被告人の過失の存在を疑わせるふしはなく、また本件公訴事実中、航空法等その他の罰則にふれる疑いも見出せない。
重ねて繰り返せば、もしも被告人の操縦技倆がより優秀であったならば、あるいは本件事故の発生はみなかったかも知れない。しかし、被告人は飛行機操縦者に一般に要求される技倆を有していたのであって、本件具体的操作にあたっても、とくにその技倆の発揮を怠り、およそ通常の技倆を有する飛行機操縦者としてあるまじき操縦上の誤りをおかしたと認められない以上、右の意味での被告人の「技倆未熟」はついに刑事責任の外にあるものと言うしかないのである。
本件は犯罪の証明がないものとして被告人に対し無罪を言い渡すべきものであるから、刑事訴訟法三三六条により主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 中川文彦 裁判官 柴田孝夫 裁判官 鈴木一美)
<以下省略>